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神戸地方裁判所 昭和47年(ワ)3号 判決

原告

梅忠良

被告

実元一郎

ほか一名

主文

一  被告実元一郎は原告に対し、金一、一七二、〇〇九円及び内金一、〇五二、〇〇九円に対する昭和四七年一月一〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告実元一郎に対するその余の請求並びに被告重田建設株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告と被告実元一郎との間ではこれを四分し、その三を原告の、その余を同被告の各負担とし、原告と被告重田建設株式会社との間では原告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

「被告らは各自原告に対し、金五、〇〇〇、〇〇〇円及び内金四、五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四七年一月一〇日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二原告の請求原因

一  事故の発生

昭和四一年二月五日午後五時一〇分頃、鹿児島県大島郡天城町天城二六六九番地先三差路上において、被告実元一郎(以下、被告実という。)の運転する自家用普通貨物自動車(鹿一よ五一八〇号、ニツサン五トン車、以下、被告車という。)が、原告運転の自動二輪車(ベンリー一二五cc、以下、原告車という。)に接触し、原告は路上に転倒して頭部外傷・左胸部打撲・左大腿部及び膝部挫傷・筋断裂・腰椎挫傷の傷害を受け、事故当日から同月二一日まで鹿児島県大島郡天城町の武原医院に、同月二一日から同年三月三日まで鹿児島市の山口外科にそれぞれ入院し、次いで西宮市の兵庫県立西宮病院に同月四日通院し、同月九日から同年四月一一日まで入院し、同月一二日から同年六月一七日まで再び通院し、さらに鹿児島市の南風病院に同年七月二七日から同年一一月三〇日まで入院し、同年一二月一日から現在まで通院しているほか、昭和四五年七月から現在まで神戸市の神戸大学医学部附属病院に通院して治療に努めたが、昭和四四年六月一〇日頃頭部外傷後遺症・腰椎変形による脊髄圧迫症状の後遺症が発現し、現在に至つている。

二  被告らの責任

(一)  被告らは、次の理由に基づき、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任を負う。

被告重田建設株式会社(以下、被告会社という。)は、被告車を所有し自己のためにこれを運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任を負う。

(二)  被告実は、被告車の制動装置に機能の障害があることを知りながらあえてこれを運転し、かつ、徐行義務並びに前方・左右安全確認義務を怠つた過失があるから、民法七〇九条による責任を免れない。

三  損害

(一)  休業損害 金一、〇〇〇、〇〇〇円

原告は、本件事故当時農業に従事し、昭和四〇年度に年間農業所得金四六三、四六八円を得ていたが、前記受傷のため右稼働が不可能となり、年間金四〇〇、〇〇〇円の得べかりし農業所得を喪失したところ、本訴において、後遺症が発現した前記昭和四四年六月一〇日以降昭和四七年一月九日まで二年半の休業による損害合計金一、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

(二)  後遺症による逸失利益 金一、五〇〇、〇〇〇円

原告は、大正一三年一〇月二〇日生れの健康な男子であるから、右事故に遭遇しなければ引き続いて農業に従事し、年間金六三、四六八円の収入を得べき筈のところ、前記後遺障害のため労働能力の五六パーセント(自賠法施行令の後遺障害等級の七級に相当)を喪失し、右状態は昭和四七年一月一〇日以降少なくとも七年間は継続するものと考えられるので、右逸失利益をホフマン式計算(年毎)により年五分の割合による中間利息を控除して右昭和四七年一月一〇日現在における一時払額に換算すると、金一、五二四、六三八円となる。そこで原告はその内金一、五〇〇、〇〇〇円を本訴において請求する。

(三)  後遺症に対する慰藉料 金二、〇〇〇、〇〇〇円

(四)  弁護士費用 金五〇〇、〇〇〇円

着手金 金三〇、〇〇〇円

成功報酬金 金四七〇、〇〇〇円

四  よつて、原告は被告ら各自に対し、三の(一)ないし(四)の損害合計金五、〇〇〇、〇〇〇円及び内金四、五〇〇、〇〇〇円(弁護士費用金五〇〇、〇〇〇円を控除した差額)に対する右損害発生の後である昭和四七年一月一〇日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告らの答弁及び抗弁

一  請求原因に対する答弁

(一)  請求原因一の事実中、原告の被つた傷害の部位・程度は争い、その余の事実は認める。原告主張の後遺症は本件事故の後、原告経営の製精工場内の事故によるあらたな受傷によつて発生したものと考えられるから、本件事故と因果関係はない。

(二)  請求原因二の事実中、被告会社がもと被告車を所有していたことは認めるが、被告会社が事故当時の運行供用者であるとの点並びに被告実の過失はいずれも否認する。

(三)  請求原因三の各事実はすべて不知。

二  抗弁

(一)  示談の成立

被告実は、昭和四一年三月頃、原告との間において、被告実が自賠責保険金のほかに原告に金一〇〇、〇〇〇円を支払い、原告はその余の請求を一切しない旨の示談をし、被告実は右金一〇〇、〇〇〇円を原告に支払つたので、被告らはこれにより本件事故に基づく一切の損害賠償責任を免れたものというべきである。

(二)  消滅時効の完成

本件事故は昭和四一年二月五日に発生し、本訴提起は昭和四七年一月六日であるから、仮に被告らに損害賠償債務があるとしても、すでに民法七二四条に従い消滅時効が完成しているものというべきである。なお、原告は昭和四四年一月二五日に自己が鹿児島地方裁判所に提起し、後に訴の取下げをした本件事故による損害賠償請求訴訟においても、後遺症の主張をしているので、仮に後遺症があつたとすれば、既にその時に判明していた筈であるから、後遺症による損害についても消滅時効が完成している。

(三)  運行供用者たるの地位の喪失

被告会社は、本件事故の前年である昭和四〇年一二月二五日被告車を被告実に売却し、以来被告実は、被告会社の仕事を請負うことはあつても、自ら独立の営業を営み、被告車を使用して右事故に至つたものであるから、被告会社は、事故当時被告車の運行支配を喪失し、運行利益も享受していなかつた。従つて、被告会社が運行供用者責任を負ういわれはない。

(四)  過失相殺

本件事故発生現場は、T字型の三差路であるところ、本件事故は、被告車が直線道路である交通量の多い県道を西進中、原告が原告車を運転して南進し、右県道を横切ろうとして発生したものであるから、原告には、県道進入に際し徐行又は停止をして左右の安全を確認すべき注意義務を怠つた過失があることは明らかであり、そのうえ、原告は右県道を渡り切つていながら完全にブレーキをかけなかつたため、原告車を右県道の中央方面に向つて後退させた過失もまた本件事故発生に与つている。

第四抗弁に対する原告の答弁

抗弁事実はいずれも否認する。すなわち、まず、示談成立の点については、原告は自賠責保険金以外に金一〇〇、〇〇〇円を被告実から受領したことはあるが、右金員は、本件事故に対する原告の受傷による昭和四三年以前の治療費等に対する支払の趣旨で交付されたものに過ぎず、右金員の受領によつて被告らが主張するような示談契約が成立したものではない。次に、消滅時効の点については、原告が昭和四四年一月二五日に鹿児島地方裁判所に提起した被告ら主張の損害賠償請求訴訟では、後遺症の損害賠償を請求しておらず、本訴において賠償請求の対象とする後遺症が原告に判明したのは、前記のとおり昭和四四年六月頃であるから、消滅時効は完成していない。さらに、被告車に関する被告会社、被告実間の売買契約は虚偽架空のものと推察される。そして、本件事故が被告実の一方的過失によつて発生したもので、原告には何等の過失もなく、過失相殺の余地がないことは前述のとおりである。

第五証拠〔略〕

理由

一  昭和四一年二月五日午後五時一〇分頃、鹿児島県大島郡天城町天城二六六九番地先三差路上において、被告実の運転する被告車が原告運転の原告車に接触し、原告が路上に転倒して負傷したことは当事者間に争いがない。

そこで、原告の受傷の部位・程度について検討するに、〔証拠略〕を総合すると、原告は、右事故によつて左大腿及び膝部挫傷、左胸部打撲傷、頭部外傷の傷害を受け、事故当日から同月二一日まで天城町の武原病院に入院したが、患部の疼痛が増悪したため、同日鹿児島市の山口外科病院に転じて同年三月三日まで同病院で入院加療し、次いで同月四日西宮市の兵庫県立西宮病院で診断を受け、同月九日から同年四月一一日まで同病院に入院し、退院後もしばらく同病院に通院したこと、その後左胸部症状の増悪化に伴い、同年五月一一日から同年七月九日まで同病院に再入院したが、治療費の支弁に窮したため鹿児島市に戻り、同月二七日から同年一一月三〇日まで南風病院で入院し、退院後も同病院で通院加療を続けたこと、ところが昭和四四年に至つて原告は顕著な頭痛、腰痛、下肢痛、しびれ感を覚えるようになつたため、同年六月一七日南風病院の医師の診断を受けたところ、入院加療を要する頭部外傷後遺症を診断され、また同年一〇月五日武原医院の医師からは腰椎変形による著明な脊髄圧迫症状との診断を受けるに及んで、同年一二月六日南風病院に入院し、同月二〇日椎間板ヘルニア剔出手術を受け、昭和四五年四月一〇日まで同病院で入院加療を続けたところ、腰痛は次第に軽快したが、その他の前記症状は消失するに至らず、ために神戸市に赴いて同年七月頃神戸大学医学部附属病院の外科で治療を受け、さらに昭和四六年八月二四日同病院精神神経科に転じ、少なくとも昭和四八年一月頃まで二週間に一回位の通院加療を続けたこと、この間における原告の頭部外傷後遺症は、他覚的には脳波に異常な徐波の発現が認められ、自覚症状としては頭痛、頭重感、悪心、めまい、嘔吐、不眠等の自律神経失調症状がみられ、精神症状としてはやや抑うつ的、心気的で自発性に乏しく、継続的な労務に困難を覚える等の所見が認められたこと、右症状に対して施された治療は投薬による対症療法を主とするものであつたが、右症状は前記期間中、格別増進もしなければ軽快もしなかつたこと、以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

ところで、被告らは、原告の前示頭部外傷後遺症と本件事故による受傷との因果関係を事故後における新たな受傷の事実を理由として争うので考えるに、〔証拠略〕によれば、原告は本件事故後の昭和四三年三月頃自己の経営する精糖工場内で原動機とキビの圧搾機とを結ぶ四、五インチ幅のベルトに左上膊部を巻かれて当該箇所を負傷したことが認められるけれども、右受傷の部位から考えて、右受傷が本件後遺症の原因を成しているものとは認め難く、他方頭部外傷後遺症が受傷後数年してから発現する事例も稀ではないこと(〔証拠略〕によつてこれを認める。)を考慮すると、他に前示後遺症の発現と結びつく受傷の事実が認められない本件では、右後遺症は本件交通事故による受傷に起因するものであり、従つて、両者の間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

二  次に、被告らの責任原因について考察する。

(一)  被告実について

〔証拠略〕を総合すると、本件事故現場は、天城町兼久方面より平土野海岸方面に通じる幅員三・七メートルの非舗装の平坦な東西道路と同町平土野市街地より右東西道路に至る幅員五・〇メートルの同様の南北道路とがT字型に交差している交通整理の行われていない見通しの悪い三差路で、人車の交通量が多い場所であること、被告実は、本件事故発生の二、三日前から被告車の制動装置の機能に変調を来し、ブレーキペダルを二、三回連続して踏まなければ完全に制動できない状態になつたため、事故前日に天城町の自動車整備工場に整備に出し、同工場の整備工からブレーキを新品に取り替える外ないとの説明を受けていたにもかかわらず、事故当日右被告車を運転し二〇キロメートル毎時位の速度で東西道路を西進して本件三差路に至つたこと、原告は、原告車を運転し一〇キロメートル毎時位の速度で南北道路を南進して右三差路に至り、東西道路の手前でやや減速したところ、左方より被告車が西進してくるのを認めたが、その直前を横断できると判断し、やや加速しながら左前方、東西道路の南側にある自己のタイヤ修理工場に向つて斜めに横断を始めたこと、被告実は、右前方約五・五メートルの位置に右原告車を発見し、ブレーキペダルを踏んだが完全に制動できず、自車のバンバー左前部を原告車の荷台に接触させ、原告を前方路上に転倒させたことが認められ、〔証拠略〕中右認定に牴触する部分はにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実に基づいて考えると、被告実は、自己の運転する被告車の制動装置の機能が完全ではないことを認識していたのであるから、前方を注視して前示のような道路・交通状況に応じた速度で完全に運転するべき注意義務があるのにこれを怠つて漫然進行した過失があることは明らかであり、従つて、民法七〇九条の不法行為責任は免れないところである。

しかしながら他方、原告車を運転していた原告にも、前認定のような状況下にあつて、左右の安全を確認したうえで直線道路を横断するべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つて漫然進行した過失があるものといわなければならない。

そうして、以上認定の諸点を考量すると、双方の過失の割合は、概ね被告実七に対して原告三と認めるのが相当である。

(二)  被告会社について

被告会社がもと被告車を所有していたことは当事者間に争いがないところ、被告会社は事故当時被告車の運行支配を喪失していた旨主張するので証拠を検討するに、〔証拠略〕を総合すると、本件事故当時、被告車の自動車登録原簿上の所有名義並びに強制保険名義は被告会社とされていたこと、しかし被告実は、事故前年の昭和四〇年一二月二五日被告会社から被告車を代金五〇〇、〇〇〇円、その支払いは契約時及び昭和四一年一月ないし同年九月の各末日限りそれぞれ金五〇、〇〇〇円宛の一〇回分割払い、登録名義は代金完納時に変更するとの約定で買受ける契約をし、即日初回金五〇、〇〇〇円を支払つて被告車の引渡しを受け、その後残代金は右約定に従つて完納されたこと、ところで、被告会社は土木建築の設計、請負等を業とする会社であり、事故当時従業員は運転手だけで五名位いたが、業務の都合に合わせ、多い時は八名程度の被告会社外の運転手に対して臨時に自動車持込みで仕事を請負わせるか、もしくはその自動車をチヤーターして営業していたこと、被告実は、昭和四〇年一一月に大型自動車第一種運転免許をとり、しばらく父の勤務先の港湾会社所有の二トン車を借受けそれを持込んで被告会社の仕事をしていたが、やがて自己所有の自動車で独立して仕事をすることを企図し、その旨被告会社に申出て諒解を得、前述のように被告車を買受けるに至つたものであり、その後も被告会社の求めに応じ前述のような社外運転手として仕事をし、被告会社から毎月一五日締切、二〇日払で代金の支払を受けていたところ、本件事故も被告実が平土野海岸から秋利神の被告会社施工中の工事現場まで砂を運搬した帰途に発生したものであること、しかし被告実は、右のように被告会社と雇用関係はないのみならず、専属的に被告会社の仕事に従事するわけではなく、自己の業務計画に従い、天城町にある他の十数社の建設業者の仕事もし、そのうちで被告会社の仕事の占める比率は概ね二分の一程度であつたこと、被告車の維持、管理及び使用は一切被告実が自己の責任でこれを行つていたこと、以上の各事実が認められる。〔証拠略〕中には被告実が事故当時被告会社の従業員であつた旨の記載もしくは供述があり、また〔証拠略〕中には被告実が被告会社から被告車を買受けた事実はない旨の記載があるけれども、さきの認定に供した各証拠に照らすとにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件事故当時、被告車の形式的な所有名義人及び強制保険名義人が被告会社であり、また本件事故が被告会社に関する業務従事中に発生した事故ではあるけれども、被告会社は当時既に被告実に対し被告車を売渡してその引渡を了し、その処分や管理権限は被告実に移つていたものというべく、また被告実と被告会社とが専属的関係ないしは実質的な使用従属の関係にあつたとかの事情も認め難いから、事故当時においては被告実に被告車の運行支配及び運行利益の帰属を認めるのが相当である。

そうとすれば、被告会社が自賠法三条所定の運行供用者であることを前提とする原告の被告会社に対する本訴請求は、その余の点の判断に及ぶまでもなく理由がないものといわなければならない。

三  ところで、被告実は、昭和四一年三月頃原告との間において被告実が自賠責保険金のほかに原告に金一〇〇、〇〇〇円を支払い、原告はその余の請求を一切しない旨の示談が成立し、被告実は右金一〇〇、〇〇〇円を原告に支払つたので一切の賠償責任を負わない旨主張し、原告が被告実から右のような金員を受領したことは原告の自陳するところであるが、被告実主張のような内容の示談が成立したことを認めるに足りる証拠は存しないから、被告実の右主張は採用の限りではない。

四  そこで、進んで原告主張の損害額について判断する。

(一)  休業損害

原告は昭和四四年六月一〇日以降昭和四七年一月九日まで二年半の休業による損害を請求しているが、前記一の認定事実によれば、原告の本件事故による受傷は遅くとも昭和四四年六月初めには症状固定の状態に達したものと認めるのが相当であるから、仮に原告主張の右休業による減収があつたとしても、それは労働能力の回復が期待できるようになつた時点以降の休業にかかる損害であるから、休業損害そのものとしては本件事故と相当因果関係を肯認し難いものといわなければならない。もつとも、原告には前認定のような後遺症が発現したため原告主張の右期間中もその労働能力を一〇〇パーセント回復できなかつたものと考えられるが、その点の損害は、後遺症による労働能力低下による損害に外ならないから、次段において検討する。

(二)  後遺症による逸失利益 金五五二、〇〇九円

〔証拠略〕を合わせ考えると、原告は、事故当時満四一歳(大正一三年一〇月二〇日生れ)の健康な男子で、三町歩程の砂糖キビ畑と二軒の精糖工場を所有して農業を営むとともに、タイヤの修理・販売業(楠鉄工所)も経営していたところ、昭和四〇年には年間金四六三、四六八円の農業収入のほか鉄工所関係の相当程度の収入があつたことが認められ、反証はないから右収入を挙げるのに要する必要経費を考慮に入れても、原告は、本件事故による受傷がなければそれ以降も原告が主張する金四六三、四六八円を下らない年間純益を得られたものと推認するのが相当である。そうして、前認定の本件後遺症からすれば、原告は、右後遺症が発現した昭和四四年六月初め以降少なくとも五年間に亘つて、一般的な労働能力は残存しているが時には労働に従事することが困難となるため就労可能な職種が相当程度に制約を受ける状態にあつたものと認められるから、右期間中三五パーセント程度の労働能力を喪失したものというべきである。そこで、後遺症による逸失利益の現価を算定するに、原告が本訴において請求する遅延損害金の始期が昭和四七年一月一〇日であり、本訴の弁論終結時が右労働能力低下の継続期間経過後であることを考慮すると、最後の二年分についてのみホフマン複式(年毎)計算によつて年五分の中間利息を控除するのが相当であるから、右現価は、次の二口(円未満切捨、以下同じ)

463,468円×0.35×3=486,641円

463,468円×0.35×1.8614=301,944円

を合計した金七八八、五八五円となる。そして原告の前記過失を斟酌すると、賠償額は、金五五二、〇〇九円と認むべきである。

(三)  後遺症による慰藉料 金五〇〇、〇〇〇円

原告の前示後遺症の内容、年齢、職業等に原告の前記過失を斟酌すると、後遺症によつて被つた原告の精神的損害に対する賠償額としては、金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

五  なお、被告実は消滅時効の抗弁を主張するが、右主張は理由がない。けだし、前記一の認定事実によれば、原告は、本件事故当時から昭和四一年末頃までは前示のような顕著な後遺症の発現を予知していなかつたところ、昭和四四年六月南風病院の医師の診断結果に接するに及んで右後遺症の発現を知り、従つてこの時に上来認定した後遺症に基づく損害の発生を知つたものというべく、右損害賠償請求権の消滅時効はこの時点から起算される結果、本訴提起時(記録上明らかな昭和四七年一月六日)には未だ消滅時効完成に必要な期間は経過していないからである。なお、〔証拠略〕よりすれば、原告が昭和四四年一月二五日鹿児島地方裁判所に提起した本件被告両名に対する本件事故による損害の賠償請求訴訟(同庁昭和四四年(ワ)第二八号事件)においても、原告は後遺症による逸失利益の損害の賠償請求を求めたことが窺い得ないではないが、右訴訟で主張あるいは立証した後遺症の内容は証拠上不明であるから(右訴訟は昭和四五年七月頃休止満了により終了した。)、この点は、損害発生の了知時点に関する前説示の妨げとはならない。

六  以上判示のとおり、原告が被告実に対して賠償請求できる損害額は、前記四の(二)及び(三)を合算した金一、〇五二、〇〇九円であるところ、同被告がその任意支払をしないため、原告が法律扶助協会を通じ、弁護士西川晋一に委任して本訴を提起、追行したことは本件記録上明らかであり、〔証拠略〕によれば、原告は同弁護士との間で取得額の二〇パーセント以内の成功報酬の支払約束をしたことが認められるが、本件事案の内容、請求額、認容額、審理の経過に照らすと、被告実に負担させる弁護士費用としては、金一二〇、〇〇〇円が相当である。

七  よつて、原告の本訴請求は、被告実に対し、金一、一七二、〇〇九円及びこれから弁護士費用金一二〇、〇〇〇円を控除した残金一、〇五二、〇〇九円に対する損害発生の後である昭和四七年一月一〇日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが、被告実に対するその余の請求並びに被告会社に対する請求はいずれも失当として棄却を免れない。そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原勝美)

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